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情けは人とネズミのためならず


 Science NOW より。

 このブログではネズミを対象にした実験の紹介を割と頻繁にしてきていますが(ケンカ遊びは社会的能力を高めるネズミは無知の知を知っている)、今回もまたネズミについてです。

 「情けは人のためならず」ということわざがあります。情けを人にかけておけば、直接的には利益がなくとも、やがてめぐりめぐって自分によい報いが来る、といった意味です。さて、今回報告された研究によると、人間だけでなくネズミにおいても、これと似た行動が見られることが明らかになりました。

 この実験では、網で仕切られた2つの部屋のそれぞれにネズミが入れられました。一方の部屋にはレバーがあり、このレバーが倒されると、もう一方の部屋のネズミにエサが与えられるようになっています。さて、この仕組みを使って実験を行ったところ、誰かにレバーを倒してもらった(親切にされた)経験を持つネズミは、自分がレバーを倒す側になると、たとえ相手が見知らぬネズミだったとしても、やはり親切な行いをする傾向があることが分かったそうです。

Lending an Anonymous Paw
(匿名の手を貸す)

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 助けの手を与えられたネズミは、他のネズミを助ける傾向にある――完全に見知らぬ相手であってもだ。このげっ歯類の利他的行為を明らかにした新たな研究によると、この動物の社会生活は、私たちが思うよりも豊かなのかもしれないと示唆している。

 ネズミなど多くの動物は、「君が僕を助けてくれるなら僕は君を助けるよ」と言うような直接的互酬性を示す。しかし、一般的互酬性という、個々がここ最近にどのように扱われたかを記憶して、それを見知らぬ他の相手に適用するという行動については、人間的特性に独自のものであると考えられていた、とスイスのローザンヌ大学の行動生態学者 Claudia Rutte は説明する。しかしながら、以前の研究では、他の動物の一般的互酬性がきちんと調べられたことはなかったと彼女は述べる。

 ネズミがこの能力を持つのかどうかを明らかにするため、スイスのベルン大学の Rutte と Michael Taborsky は、ネズミをしつけて、レバーを引くことによって、檻の金網の壁の反対側にいるもう一方のネズミに、ご褒美のオート麦フレークが与えられることを教えた。それからこのネズミたちのいくらかは、受け取り側に置かれ、助けをするようしつけられたネズミたち(3匹)、もしくはしつけを受けず、レバーを引いて食べ物を出さないネズミのいずれかとペアを組まされた。こうした親切なネズミあるいはあまり親切でないネズミとともに数日間生活した後、これらのテスト用ネズミは、新たなパートナーと組まされた上で、檻のレバーの側へ戻された。そして、パートナーのために食べ物を出すかどうかを観察された。食べ物を出してくれるネズミと一緒だったネズミは、そうでないネズミと一緒だったネズミよりも、頻繁に新たなパートナーを助けた。このことを研究者たちは Public Library of Science Biology 誌のオンライン版の今週号にて報告する。Rutte のチームはまた、テスト用ネズミが、以前に自分にオート麦フレークを出してくれたネズミとペアになると、より多く食べ物のレバーを引くことも発見した――このことは直接的互酬性を示している。ペアのネズミのいない空の檻だと、ネズミは食べ物のレバーを引くことはほとんどなかった。

 ネズミは、200匹いれば、誰が助けをしてくれるネズミで誰がそうでないかを覚えておくことは難しい。他のネズミを万遍なく助けようとすることは戦略として意味がある、と Rutte は語る。「相手を認識できないときに協力を発展させるための仕組みなのかもしれません。」ネズミは他の個体を記憶するのがきわめて悪い、と彼女は記している。

 「われわれの知る協力行動を説明する新たな方法です」と語るのは、ドイツのライプチヒのマックスプランク研究所の比較心理学者 Jeff Stevens である。こうした助力行為は友達を覚えておく必要を避けていると彼は付け加える。英国ケンブリッジ大学で比較認知を学ぶ Nicola Clayton は、協力行為の進化を理解する助けとするため、社会的および非社会的動物において一般的互酬性の普及を調べることを示唆している。

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 ことわざのような因果関係を、ネズミたちが実際に念頭において助けをしたのかどうかは定かではありませんが、すくなくとも直接的な利益だけを求めているのではない、という点は面白いです。

 見知らぬ相手への普遍的な利他行為を生み出すのは何なのでしょうね? 記事にあるような、他の個体を覚えきれないという点も一つでしょうが、それだけでは十分ではないでしょう。いろいろな動物での結果が比較できるようになると面白いなあと思います。

【参考リンク】
・(元論文)Generalized Reciprocity in Rats

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コメント (4)

txe:

血縁関係にない、もしくはあるかどうか解らない、血縁関係にないものへの利他行動に対する説明で満足できるものが少ないのが残念です。

互恵的利他行動が成り立つならばこの記事みたいなことも生じるかもしれないが、少なくとも単純なゲーム理論では繰り返しのある場合利他的行動が結果的にその利他行動を行った個体にベネフィットをもたらすことも計算上あり得るともいえるしなぁ。

ただ、

実験に使われているネズミが、既に実験動物になっている時点でかなり実験を行う研究者にとって有益な結果をもたらすよう恣意的に(もしくは無意識的にでも)ボトルネックがかかっていて、著者たちにオイシイ系統かもしれないし、疑ってかかる必要ありです。それにネズミはかなり賢いしなぁ・・・。ほんのちょっとした行動と利益の相関を見つけるとめざとく学んで利用するよね。そう言う風に進化してきた動物やし、さらに実験動物としてその辺さらにセレクションかかってるしな。

ちなみに我が家のモルモットは、餌が欲しいときにわざわざ足場になる台をベルの下に運び、その上に乗ってベルを鳴らします。これって、道具の2次利用ちゃうん?

こんにちは、コメントありがとうです。

実験室で飼いならされた動物と、野生で生きる動物とで互酬性の性質にも違いがあるかもしれない、というのは重要な視点ですね。

ひょっとすると、ネズミのまわりの環境によって、そのあたり違ってくるのかもしれませんね。たとえば周りに他のネズミがどのぐらいいるかとか、暮らしやすい生活環境なのかどうかとか。。なんらかの傾向が見られればそれはとても面白い発見だと思います。そうなると、今回の研究はやがてその出発点として役立ちそうです。

txe:

リバープラスさん、しつこく書いてごめんなさいね。
なんか書きたくなったので。

> 実験室で飼いならされた動物と、野生で生きる動物とで互酬性の性質にも
> 違いがあるかもしれない、というのは重要な視点ですね。

このことは互報性のみならず、今現在多くの研究機関で行われている室内実験の大問題なのです。

よく、実験室で実験したら(バイオアッセイ)、有意に効能を評価できたみたいな報告が多いのですが、私も科学者の端くれとしてひとこと。

実験室で飼育されている実験動物(植物も)は、人に飼われているというところで既に決定的なボトルネックがかかっています。

まず、実験動物の大元は、野外から採集してきます。例として、100匹の虫を採集したとします。

そして実験室で飼育すると、その半分50匹が原因不明で死んでしまった。

この時点で、強烈なボトルネックがかかっているんですよね。研究者にとって都合が良いか悪いか別として、大切な被験材料の多くを失い、そして都合の悪い結果がでればそのデータは公開されないことがおおいのです。
そしてその半数の個体が、自然をきちんと反映する結果をもたらすか、それが今や無視できないのです。

この世の中で起こっていることが本質の氷山の一角なのですが、要素還元主義の限界に関する認識、メタレベル創発を認めること、多面的のみならず、多元的視点解釈の必要性を痛感します。

レビュー、毎回楽しみに読んでます。
これからも面白い、なんか変、めちゃ凄い論文紹介お願いします。

txeさん、いつもありがとうございます。+応答おそくてごめんなさい。

バイアスの問題は、つねに気を付けなくちゃいけない問題ですね。虫の致死率もそうだし、場合によっては実験の根本がぐらつくこともあるわけですし。

もちろん一方で、バイアスがかかってるからこの実験データには意味がない、なんてことには決してならないとも思います。これこれこういう条件のもとで実験したらこういう結果が出たよ、という意味においては大きな意義があると。じゃあうちはこういう条件でやってみよう、と他の研究者を動機付けるきっかけにもなるでしょうしね。実験をやる以上はバイアスをゼロにすることは絶対にできない、と意識しつつ、じゃあ今回のケースではどういうバイアスが想定されるのか? をちゃんと吟味して隠さず伝えることが大事なのだと思います。

あと他にも、報告のバイアスとか、実験そのもの以外のバイアスもけっして無視できないですね。こちらは研究者のみならず、趣味で科学ニュースを眺めている(僕のような)ひとたちにも深い意味のある教訓だとおもいます。

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