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悪用される科学

 日経サイエンス10月号の記事が面白かったのでご紹介です。

 

 悪用される科学

 http://www.nikkei-bookdirect.com/science/page/magazine/0510/doubt.html

 

 医薬品や化学物質が人体にとってどのぐらいの危険性があるか、という判断は難しい問題です。製薬会社や化学会社は、自社の製品のくらい安全かということを常に注意する必要があります。

 

 ですが、こういった会社は、自社製品の危険性についての研究のほとんどに資金を出しているものの、製品の安全性を示した研究ばかりを強調し、不安を感じさせるような結果は軽視することが多いようです。

 

 たとえば、「ある薬品は人体に有害な影響をおよぼす」という報告がなされたとします。それを受けて、使用規制についての検討が政府で行われたとすると、製薬会社の業界団体は、研究者を雇っていっせいにこれに反論攻撃をしかけるのです。たいていそれらの研究の結論は同じで、有害とする証拠が不十分なので規制は正当ではない、というものです。

 

 米国では、こうした証拠の不確実さを突いたりして企業を擁護することは大きなビジネスとなっていて、これを専門とする研究機関もあるほどです。さらに、こうした研究の中には、データをたくみに操作して、統計的な有意性が認められないように結論を持っていくことも行われているようです(実際それはそれほど難しくないらしいです)。

 

 そもそも科学には、確実にこうだと言い切れることはあり得ないわけです。こうした研究(もちろん全部がそうではないでしょうが)は、このような確実さのスキマを、何とかしてこじ開けようとしているようにも見えるのです。

 

 こうした話を聞いて思うのは、安全や健康について「疑わしきは罰する」という精神はどこにもないなあということですね。ふつう科学の世界では、ある重要な研究結果に対して、追試験などの十分な吟味が重ねられ、これはだれが見ても反論のしようがない、というレベルまでたどり着いて、やっとその結果の正当性が認められるものです。ですが、人間の安全や健康が絡む問題については、安全側へ倒れるような証拠の基準をこれよりも甘いものにすべきだと思うのです。つまり、どうやらこれは有害である可能性が高いことが分かったなら、いくらか程度の証拠が集まった時点で、その使用量はひとまず制限させよう、というような具合です。


 (疑わしきは罰する、というフレーズはこの本
より拝借。)

 

 ところでこの記事には、カコミ記事で日本の状況についても触れられています。日本は消費者の意識が高く、企業側も研究結果を安全なほうに無理やりねじ曲げることはありません。ですが一方で、マーケティングの段階で、学術的なお墨付きを得て消費者の関心をひく手法が広まっているという事実が指摘されています。こうした手法には、行われた実験がはたして科学的に妥当なものかどうか、その分野の専門家たちによってきちんと検証されているケースはきわめてまれであるようです。

 

 なんとかして調査の有意性をひっくり返そうとする傾向の米国と、なんとかして有意のある実験結果を引き出そうとする傾向の日本。見たところ対照的な2つのケースですが、科学に対する態度ははたして誠実か? という立場で見てみると、どちらも少し疑問を感じてしまうところですね。

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コメント (4)

orino:

■ビックリ
統計操作のビジネスが存在するとは驚きました。

以前、企業内の品質管理の基準をパスするために、試験サンプル数を操作している会社について聞いたことがあります。

これなんか、まだかわいい方ですね。
自分たちで、内々にごまかそうとしているだけですから。
上記の記事ではごまかしをアウトソーシングしようというのですから、驚異です。


http://ameblo.jp/orino/
riverplus:

■規制への反対
規制への反対のために、研究者だけでなく、ロビイスト(ロビー活動の専門家)も雇って攻撃をしかけるようです。日本からみればすごく違和感を感じますよね。マスコミなどがこうした動きに疑問を示すというような機会は少ないのでしょうか。。


http://ameblo.jp/riverplus/
自然人:

■難しい問題ですよね
ブログにご訪問・コメントありがとうございました。
薬品に関する問題は難しいですよね。
癌の特効薬としてアメリカで現れた某薬品も、日本に来てみると、かえって副作用による死者数の方が問題になったりしていると聞いたことがあります。
でも、それで助かった人もたくさんいるようで、その人たちはその薬品を「神の薬」と思ったことでしょう。
安全性の基準をどこに置くかは非常に難しいなって思います。
日本脳炎の予防接種は急性散在性脳脊髄炎等の発症可能性があるとして、差し止められました。
発症確率は、70万~200万回に1回だとか。これまでは、「安全」としていたこの確率が、今度は「危険」になった・・・。とても難しいです。
薬にはまず副作用がありますから、その程度がどれだけかという問題なのでしょうが、人体は一様ではありませんし、一個人でも、その日によって体調は変化します。
投与する、またはすることを決断する立場の医師の判断というのも、問題になってくるようにも思います。
この病気だからこの薬、のように公式的に理解するのではなく、新薬を与える場合には、その薬の作用、副作用をなるべく確実に知り、患者の体調を吟味して決めるべきだと思います。副作用が大きい薬であればあるほど慎重でなければならないでしょう。
そのためにも、自分の私利私欲で研究、開発して安全性だけ誇張したり、逆にそれを否定するだけに偏ったりするのは、危険な考えだと思います。
でも、全ての人間に安全かというのを実験段階でシミュレーションするのは無理ですし・・・やっぱり難しいですよね。
長々と訳の分からん事を^^;失礼しました。


http://ameblo.jp/natural-man/
riverplus:

■安全と危険
自然人さんこんにちは。興味深い情報&コメントありがとうございます。
なるほど、安全と危険の基準にあるむずかしさがこういう問題のネックになっているようですね。
副作用の発症の確率を、患者の条件でこまかく分類したようなデータベースが充実するといいのかなあと思います。できるだけ多くの使用例(条件や副作用なんか)を、誰もが参照して検討材料にできるような。
規制をするしないも、患者の条件で場合分けして定めたりできると効果的なのかも・・と、素人ながら、いろいろと考えさせられます。


http://ameblo.jp/riverplus/

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