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エネルギーと環境。

 平日はなかなかブログを書ける時間がとれないなあと思いつつ、
 印象的な本からの抜書きメモ。
 
 ヤバンな科学」(著:池内了、出版:晶文社)
 
 より、エネルギー問題を論じた節の冒頭より。
 この主張にはいたく感じ入りました。
 以下引用。
 
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 私たち(特に男)は、天下国家を論じたがる傾向があるのですが、そのような談義の最後の決まり文句は、「結局、政治を変えなくては何も変わらない」となってしまいます。そして、自らは何もしないのです。責任を政治家に押し付けて、自分を無罪放免しているといえるでしょう。言い換えると、私たちが問題の解決を政治や行政に「お任せ」してしまう体質になっているということです。それは中央集権の発想であり、個々の人間が責任を持ってコトに当たっていく姿勢を失っていることを示しています。つまり、民主主義の精神を忘れていると思うのです。

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 この部分で述べられている話は、もはやエネルギー論に限ることではないのですね。
 「国が悪い」の結論で締めくくられる、ほとんどの話題に照らすことができそうな気がします。
  
 エネルギーに関して言えば、たとえば、地球温暖化の問題。
 現在、日本国内の二酸化炭素排出量が年々増加している傾向にあるというのは、すでに広く知られています。
 ですが、その内訳を見てみると、
 産業部門の排出量はほぼ横ばいで推移しているのに対し、
 民生部門と運輸部門(特に自動車)は著しく増加している傾向にあります。
 つまり、毎年の排出量を吊り上げているのは、他でもない、各個人の影響が非常に大きいのだということ。
 これはけっこう知られていない事実ではないでしょうか?
 (もちろん量で見れば産業部門が上ですが。)
 
 結局、ここで
 「政府が各家庭から出る二酸化炭素をコントロールできる制度が必要だ」
 などと論じるだけというのは、もはや意味がないように思えるのです。
 最後は「お上が悪い」の結論にたどり着いて、これでおしまい。
 責任の所在を移しただけで何も解決がないのですね。

 この本で述べられている、実際に著者がやってみた、省エネルギーな自分の住まいを建てるまでのあらましが、この話を考える上でたいへん参考になると思います。
 たとえば、企業が環境問題を商売に利用するときの、ユーザとの考えの食い違いが浮き彫りになっているところなど、いろいろと考えさせられるところが多いです。

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