読点についてメモ書き。
このブログの一昨日の記事(これ)で、読点の打ち方についてのとあるガイダンスを紹介しました。
その記事のいちばん最後で、僕は「たかが読点のことで~」なんてことを書いたのです。
これまで、学校で読点の打ち方についてなんて一度も習ったことはないし、実際に文章を書くときにもすっかり読点を軽んじていたという気持ちの表れです。
さて、今回出会った「実践・日本語の作文技術」(著:本多勝一、出版:朝日文庫)という本に、たいへん衝撃的なことが書かれてありました。
この本の第一章の冒頭に、こんな記述があります。
わかりやすくて論理的な文章を書くための技術を、いわゆる文章読本の類ではなくて、むしろ科学技術的に考えるとき、その核心をなすものは構文上のテン(読点=イギリス語のコンマ)である。
と、僕のかつての認識を真っ向から否定する意見が述べられています。
そして、この章では、わかりやすい文章を書くために必要となる読点の打ちかたを提案しています。 一昨日の記事では、「かかる――受ける」の関係にもとづく読点の打ち方を紹介したのですが、今回紹介するのは、それとはまったく異なる観点からの読点の打ち方です。
テンの役割を考えるとき、「必要なテン」と「テンがなくともよいか、または既存の他の記号でも差し支えないテン」とを分けて考えなくてはなりません。
著者によると、構文上真に必要なテンとは、次の二原則に尽きると結論づけられます。
第一原則:長い修飾語が二つ以上あるときその境界にテンをうつ。
(長い修飾語の原則)
第二原則:語順が逆になったときにテンをうつ。
(逆順の原則)
たったこの二つだけだというのです。
この二つを少し詳しく見てみます。
第一原則:長い修飾語が二つ以上あるときその境界にテンをうつ。
たとえば、
AがBをCに紹介した。
という文はテンを必要としません。
ですがこのABCに次のような長い修飾語をつけてみます。
何も事情を知らない軽薄きわまるA
思っただけでもふるえるほど大嫌いなB
私の小学校から高校を通じて親友のC
これをそのまま、上の文に当てはめるとわかりにくくなります。
何も事情を知らない軽薄きわまるAが思っただけでもふるえるほど大嫌いなBを私の小学校から高校を通じて親友のCに紹介した。
こういうときにABCの境界に当たる二ヶ所にテンをうつ必要があります。
何も事情を知らない軽薄きわまるAが、思っただけでもふるえるほど大嫌いなBを、私の小学校から高校を通じて親友のCに紹介した。
第二原則:語順が逆になったときにテンをうつ。
これはちょっと説明が必要になります。
語順が逆とはどういうことを指すのか。
そのためには正しい語順というものを知っておく必要があります。
本書で説明している正しい語順には、ぜんぶで四つの原則があります。
1.述部が最後にくる。
2.形容する語句が先にくる。
3.長い修飾語ほど先に。
4.句を先に。
このうち1と2は当たり前のことなので、3と4について説明します。
たとえば、
東京都立航空工業高等専門学校の生徒
熱心な生徒
いい生徒
の三つの言葉をまとめて一つにするときは、3の原則にしたがって物理的に長い順に並べます。
東京都立航空工業高等専門学校の熱心ないい生徒
そしてさらにここに、
遠くから通学している生徒
の言葉をくっつけます。
これは句なので、このときの正しい語順は4の原則にしたがいます。
遠くから通学している東京都立航空工業高等専門学校の熱心ないい生徒
と、以上が、正しい語順の原則です。
さて、正しい語順が逆になるとどうなるか。
さっきの例をつかいます。
何も事情を知らない軽薄きわまるA
私の大嫌いなB
C
の三つを正しい語順に並べます。
3の原則によれば、長い順に並ぶのが正しい語順です。
何も事情を知らない軽薄きわまるAが私の大嫌いなBをCに紹介した。
ここでもし「Cに」を冒頭にもってきたらどうなるか。
Cに何も事情を知らない軽薄きわまるAが私の大嫌いなBを紹介した。
正しい語順でなくなったため、これではわかりにくくなってしまいます。
こういうときに「Cに」のあとにテンが必要になります。
Cに、何も事情を知らない軽薄きわまるAが私の大嫌いなBを紹介した。
あるいは、別の例を見てみます。
4の原則にしたがわない場合も、同様にテンが必要になります。
遠くから通学している東京都立航空工業高等専門学校のいい生徒
東京都立航空工業高等専門学校の、遠くから通学しているいい生徒
と、以上で見てきたような二原則が、構文上真に必要なテンということになります。
本書ではこれ以外にも、原則以外の自由なテンが存在することを述べています。
「主観のテン」や「思想のテン」とも呼び、筆者がそこにある意味をもたせるためにうつテンのことです。
母は去った。
母は、去った。
というような、「強調」なり「ふくみ」なりをもたせるために使うテンです。
文章の構造だけから考えるなら、このようなテンはなくてもかまいません。
筆者の文体、思想を示すものとしてのテンだとも言えます。
・・・さて、文章を書くうえで本当に必要なテンとは、以上で述べたわずか二つの原則で決定されるわけです。
僕はこの原則を見たとき、たいへんな爽快感を感じました。
あまりの明快さに、本当にこれで間違いのない読点がうてるの? と半信半疑の気分でもありますが。
そもそも僕は、読点の打ち方とは、職人芸的な、直観が支配する世界だと思い込んでいたわけで、そういった認識をすっぱりと一掃してもらえた感じがしました。
しばらくの間、このルールを意識して仕事をしてみようと思います。

